渓雲寺

当寺院について

由来綠起

当山は寛永四年(1627年)に、
会津四十万石の領主となって転封してきた
加藤嘉明公によって建立された。

元禄十三年の上書には江戸下谷要伝寺に着衣の格式を借した事情が示されていて面白い。膝公は、左文字の太刀、正宗の脇差をはじめ、黄金製幣一串を奉納し更にを召して、日蓮聖人像一体、三十番神像三十体(小仏)、十羅利女像十体を彫らせてい・る。現存している仏像はこの他に、子育経体鬼子母神像等六十余体であり、鬼子母神像を除いて木彫彩色仏である。寛永二十年に二代明成公は石州に移封となり、保科公の入封となったが、三代正容公は特に命じて、重臣原田家を当山の檀家とした。之によって、幕末の家老(大平口総督)の対馬種龍まで、原田家が当山の中心的種徒となったのである。当山には著主並びに若殿様などが度々参詣されたと伝へられている。

加藤公は賤ヶ岳七本槍の一人に数えられた武将で、常に南無妙法煙華経の旗印を背に戦場をくぐり、遂に会津の大守となったわけで開山は小湊誕生寺の日尊上人の法第教法院日栄上人で、四国松山の妙向山法華寺より格式五万石で招かれたという。代々の住僧は紫衣を勅許されていた。

けんぽんちゃくしょくねはんず
絹本著色涅槃図

多治見市有形文化財
平成5年3月12日指定
元禄16年(1703)
絹本著色 縦196.0cm
横120.7cm

紀元前386年の釈迦の入滅に集まった菩薩、羅漢、信徒、鳥獣”が悲嘆にくれている情景を描いたものを涅槃図といいます。禅宗の寺院の多くが涅槃図を所蔵し、釈迦入滅の日にあたる2月15日に、これを掛けて涅槃会が行われます。
渓雲寺所蔵の涅槃図は観動により元禄16年に描かれ、嘉永2年(1849)と平成5年(1993)に修理されています。
虎渓山永保寺所蔵など、多くの涅槃図は釈迦が右手を枕とする姿勢ですが、この湿槃図は右手を面前に添えるように描かれています。

こせとかいゆうしじこ
古瀬户灰釉四耳壺

多治見市有形文化財
昭和58年4月1日指定
14世紀前半
口径M10.5cm
器高30.9cm
最大幅20.7cm

笠原町の栄区で、出土しました。
蔵骨器として使用されていたらしく、ほぼ完全な形です。
器形は、鎌倉時代末期の特徴を持っています。
頸部付け根付近と底部は、いずれも外面から穴があけられています。灰釉は丁寧に刷毛塗りされ、淡緑色の色調を呈しています。